清原正吾はなぜ中学高校野球から離れた?ブランクを埋めたのは才能か?

清原正吾

甲子園大会で通算本塁打の最多記録と、プロ野球では歴代5位の525本塁打という記録を持つ清原和博さん。

そんな日本プロ野球界のレジェンドを父親に持ち、慶応大学野球部では4番を務めた清原正吾(きよはら しょうご)さん。

実は中学・高校と野球部に所属していません。

6年間のブランクがあるにもかかわらず慶応大学で4番を務めていたことにも驚きですが、中学・高校と野球部に入らなかった理由も気になりますよね。

ということで今回は

  • 清原正吾はなぜ中学高校野球から離れた?
  • 清原正吾がブランクを埋めたのは才能か?

ということについて書いていきたいと思います。

目次

清原正吾はなぜ中学高校野球から離れた?

清原正吾
引用:X

清原正吾さんは、小学3年生の頃からオール麻布という学童軟式チームで野球を始めています。

全国大会に何度も出場する強豪チームでしたが、4年生のときには中心選手となり高学年になると4番も務めていたそうです。

父親の和博さん同様長打力がずば抜けており、ホームランを量産していたとのことです。

これほどの活躍を見せていた清原正吾さんですが、中学時代は野球から離れることになります。

大きな理由は父親の存在です。どうしても「清原の長男」として見られ、重圧があるなかで打たなければならないので…そこから離れたくなったんです。それと(3つの選択肢がある)慶應義塾の附属中のどこに進むか、進路で悩んでいたのも重なりまして

引用:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/45c985cfec9d625fa1c47989b1aa07c26318186a

清原正吾さん「父親の存在」が野球を離れた理由だと答えています。

清原正吾の中学・高校時代の部活動

野球を離れた清原正吾さんは

  • 中学時代にはバレーボール部
  • 高校時代にはアメリカンフットボール部

に所属しています。

バレーボール部ではアタッカーを務め、アメフトでは神奈川選抜にも選ばれ最優秀選手賞も2度獲得しています。

バレーボールやアメフトを経験したことで、清原正吾さんは186cm90kgという強靭な肉体を手に入れました。

しかし、いくら肉体的に恵まれていたとしても、中学・高校と野球から離れた人間が活躍できるほど大学野球の世界は甘くありません。

そんな常識を覆し、清原正吾さんは慶応大学野球部で4番を打つことになるのです。

なぜ野球を再開したのか?

清原正吾さんは大学に進学すると、野球を再開します。

父親の一件があって、1度、家族がバラバラになりました。その後、父が社会復帰に向けて懸命に頑張っている姿を目の当たりにしまして…僕が大学でもう1度野球をすることで、父が元気になってくれたら、と思ったんです。父のためにも、絶対に神宮の舞台に立ってやる、と覚悟を決めました。(当時の)自分にとって、人生最大の決断でした

引用:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/904a8dcb2a4a68d5182a37a398f5fb942bf144a1

「父が元気になってくれたら」という理由から、野球を再開したようです。

野球を離れた理由も清原和博さんにあるとのことでしたから、やはり清原正吾さんにとって和博さんの影響はとても大きなものだということは間違いなさそうです。

実は清原和博さんの違法薬物使用の疑いが「週刊文春」によって報じられたのが2014年3月。

清原正吾さんが小学6年生の頃です。

父親が覚醒剤取締法違反で逮捕される)事件もあって、当時は父親が嫌いになり、野球の道からも外れた

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/d4a866522c69d14a34d18a2983ebe512e86c47ba?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20241129&ctg=spo&bt=tw_up

別のインタビューではこのように答えています。

当時の清原正吾さんは、父親の名前から少しでも離れた環境に身を置きたかったのでしょう。

しかし

清原和博さんに元気になってもらいたい

そんな気持ちから野球を再開。

明治大学戦での9回裏の同点ホームランに、清原和博さんも思わず涙します。

清原正吾さんが野球を再開したことは、最高の親孝行だったのでしょう。

清原正吾がブランクを埋めたのは才能か?

清原正吾
引用:X

一般的な考えでは、野球一筋でやってこなければ一流の選手にはなれません。

いくら父親が超一流のプロ野球選手だったとしても、成功できる人間はごく一部であることを多くの人が知っているはずです。

ですから、清原正吾さんの経歴にはいささか思考が追いついていかない人が多いようです。

漫画のようなストーリーですが、そこにはやはり血の滲むような努力があったようです。

もの真似の才能

清原正吾さんは「できる人」の動きを観察し、それを体で表現する能力に長けているようです。

バレーボールやアメフトの世界でも結果を出せたのは、この能力のおかげと言えるのかもしれません。

軟式のボールでしか野球の経験がなかった清原正吾さんが、慶応野球部で4番を打つまでに成長できた要因として

  • 3学年上に正木智也(現・福岡ソフトバンク)
  • 2学年上に萩尾匡也(現・巨人)
  • 1学年上に廣瀬隆太(現・福岡ソフトバンク)

がいたことが大きかったと言います。

3人とも右打ちのロングヒッターで、清原正吾さんとタイプが似ていました。

そんな3人と近くで練習できたことが、大きな成長に繋がったようです。

まとめ

今回の記事では

  • 清原正吾はなぜ中学高校野球から離れた?
  • 清原正吾がブランクを埋めたのは才能か?

ということについて書いてみました。

プロの道に進むことはできませんでしたが、清原正吾さんも納得はしているようです。

「好きで野球をしていたのではなく、父親のため」

少し悲しい気持ちになる発言ではありますが、これからの社会人生活も大活躍していってもらいたいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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