すがちゃん最高no.1山形の高校時代が一番モテた?壮絶な生い立ちでも青春を謳歌!

すがちゃん最高no.1

お笑いトリオ『ぱーてぃーちゃん』でツッコミ担当として、大人気のすがちゃん最高no.1さん。

長いのになぜか一発で覚えられる芸名。

さらに芸人トップクラスの容姿を持ち、「中学の時から一人暮らしをしていた」壮絶な生い立ちのキャラクターも世間の注目を集める要因となっています。

そんなすがちゃん最高no.1さん(以下、すがちゃんさん)ですが、なんと山形の高校時代が一番モテたという説があるようです。

ブレイク中の現在よりモテることなんてあるのでしょうか?

ということで今回は

  • すがちゃん最高no.1の家族とは?
  • すがちゃん最高no.1壮絶な生い立ちでも青春を謳歌?
  • すがちゃん最高no.1山形の高校時代が一番モテた?

ということについて書いていきたいと思います。

目次

すがちゃん最高no.1の家族とは?

家族構成
引用:YouTube

高校時代にモテ期を迎えるすがちゃんさんは、どのような幼少期を過ごしたのでしょうか?

漫画『ONE PIECE(ワンピース)』は冒険が進むにつれて、仲間がどんどん増えていくところが魅力です。

それに対して、すがちゃんさんの幼少期は

家族が一人ずつ減っていく、まさに逆『ONE PIECE』だったそうです。

どんな状況だったのかを紐解くために、すがちゃんさんの家族について説明していきたいと思います。

家族①:母親

実はすがちゃんさんが生まれたのは東京で、山形に移り住んだのは3歳の頃です。

すがちゃんさんは3歳の時に、母親を亡くしています。

生まれたのは東京です。お母さんは病気で、「出産すると危ない」と言われていたのに俺を産んでくれたと聞いています。入院中に幼い俺がお見舞いに行っても、お母さんと認識した上でいなくなってしまうと寂しいだろうから、「おばちゃん」と言わせていたそうです。すごく、感謝しています。

引用:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/88159/

思わず涙が出てしまうエピソードで、我が子を大切に思う母親の気持ちが伝わります。

その後、父親一人での子育ては大変なので、実家の山形に引っ越すことになります。

ここから、父親、伯母さん、祖父母との5人暮らしが始まるのです。

家族②:父親

すがちゃんさんの父親は

  • 「酒・女・ギャンブル」好き
  • 寅さんと範馬勇次郎を混ぜたような自由人
  • 職業は不明で「ビッグなビジネス」をしているらしいが、借金あり
  • 見た目はサングラスを外した蝶野正洋さん
  • カッとなったら素手で車を破壊する

こんな豪快な人だったようです。

小学校低学年の頃はよく一緒にナンパに連れて行かれたそうです↓

また再婚を繰り返しており「腹違いの兄弟が7人いる」という逸話もあります。

その7人が揃えば願い事が叶うという伝説まであったようです。

メチャクチャな父親ですが「面白すぎて嫌いにならなかった」と、すがちゃんさんは言っています。

そしてそんな父親を見て「面白かったらモテる」ということにも気づいたそうです。

そんな強くて豪快だった父親も、病には勝てませんでした。

おやじが「狙っている」という女性から、「お父さん、血液のがんなの」と告げられました。酒とたばこをやめるのが嫌で病院に行かない、と。そうこうするうちに救急搬送されて、「長くても1カ月」と宣告されました。病室に行くと、おやじは女性の看護師さんを「ナンパ」しながら「あれ俺の息子。すがちゃんさいこうナンバーワンって芸人でよ。でも菅野家のナンバーワンは俺じゃい!」と豪快でした。

引用:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/88159/

すがちゃんさんはそんな父親を見て、「カッコいい」と感じたそうです。

父親を担当していたナースさんは

「息子さんがいないときは泣きごとも言っていいたけど、息子さんが来たらいつもの強いお父さんでいてカッコよかったです。」

このように話しています。

問題は多かったけれど、本当にカッコいい父親だったようです。

何回目かの見舞いの日、おやじが本気の顔で「酒買ってこい」と。でも、渡した缶ビールのフタを開けられなかった。乾杯だけすると、俺の目を真っすぐ見て、「俺はよ、ほんと好き勝手、生きてきたけどよ。自分がカッコいいと思ったことだけ、信じてやってきた。だからおまえもナンバーワンっていう、その名前にふさわしいカッコいい生き方をしろ」と。その翌日、亡くなりました。

引用:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/88159/

本当の「すがちゃん最高no.1」はすがちゃんさんの父親だったのかもしれません。

家族③:伯母さん

すがちゃんさんの父親の姉にあたるのが「伯母さん」です。

  • 一番自分の面倒を見てくれた
  • 家のすべてを支えてくれていた
  • 家族で唯一気を使わなかった

それが、すがちゃんさんにとっての伯母さんだったようです。

しかし強烈な個性がぶつかり合う家庭についに限界を感じ、伯母さんは家を出て東京へ行くことになります。

伯母さんは

「一緒に東京に行こう」

と誘いますが、すがちゃんさんは「行かない」という選択をします。

地元も友達も好きだったことや、本人の美学があったのでしょう。

家を離れたあとも伯母さんは、仕送りなどで面倒を見てくれたようで、すがちゃんさんも本当に感謝しているそうです。

ここから、すがちゃんさんは祖父母との三人暮らしを送ることになります。

家族④:祖父

伯母さんが出ていったあとは、祖父が主に家事や炊事を行ってくれていたようです。

祖父は非常に無口な人で、1日の会話量は10文字以下でしたが

小3の時に全然帰ってこないなと思っていると突然、(おやじが)子どもたちを連れた女性と家に上がり込んできて「俺は今日から、こいつらとこの家で住む!」と。知らない間に再婚していたようです。

引用:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/88159/

さすがにこの時ばかりは、普段寡黙な祖父が父親を追い返したそうです。

しかし高齢とういこともあり、すがちゃんさんが小学校高学年の時に病気で亡くなってしまいます。

すがちゃんさんは、ついに祖母と二人暮らしとなるのです。

家族⑤:祖母

すがちゃんさんは、祖母のことを非常に変わった人だったと言います。

忍たま乱太郎がライバル
 ➞昔のやつのくせに目が悪いことが許せない
トイレを一回で流すとキレる
 ➞一撃で流すな!もったいない!とキレる
食器は洗わずにベロベロ舐める
 ➞「舐めること=洗うこと」だったことで食器から異臭が発生

こんな常軌を逸した行動からも、伯母さんのストレスの一翼を担っていたのでしょう。

しかしそんな祖母も、体調を崩したことをきっかけに高齢者施設に入ることになります。

ついに、すがちゃんさんは一人になってしまうのです。

すがちゃん最高no.1壮絶な生い立ちでも青春を謳歌?

すがちゃん最高no.1
引用:Instagram

そんな壮絶な生い立ちを経て、すがちゃんさんは中学1年生から一人暮らしをすることになります。

ですが、持ち前の前向きさでしっかり青春時代を謳歌していたようです。

中学生時代

一人暮らしとなったすがちゃんさんですが、周囲にはその事実を隠していました。

その方が「カッコいい」からだそうです。

普通の人なら、中学1年生で一人暮らしするとなったら、不安や心配で絶望してしまう事も考えられます。

ですが根っからのナルシストのすがちゃんさんは

「主人公みたいな人生が始まった」

ワクワクの気持ちが勝ったそうです。

イケメンで何故か一人暮らしのやつ
悟空や桜木花道は一人暮らし

こんな漫画の主人公たちとダブらせて、自分に酔っていたようです。

伯母さんからたまに2~3万円の仕送りがありましたが、生活はかなり苦しいものでした。

お父さんの借金取りが頻繁に家を訪れ、脅されるという怖い経験を何度もしました。

家庭がないの現実に、寂しい気持ちになることもありました。

ですがどんなに苦しいときでも

「こんな状況の俺カッコいい」

と前向きとらえ、たくましすぎる中学校生活を送っていました。

こんな過酷な生活を送っていたすがちゃんさんですが

「人生で一回もメンタルを病んだことがない」そうです。

このメンタルの強さは、現在の成功と大きく関係がありそうです。

女性関係はというと、中学時代もかなりモテていたようですが、

「自分と付き合うのは相当ハードルが高いことだ」

という気持ちが強く、全然彼女はできなかったとのことです。

すがちゃん最高no.1山形の高校時代が一番モテた?

高校に入学してからのすがちゃんさんは数々のモテエピソードを残しています。

入学して1ヶ月で少なく見積もっても15人から告白を受ける
あだ名が「修二と彰」
もらったバレンタインチョコの数は20個以上

本人は「人生の一番モテ期」と公言しています。

また、他薦を装った自薦でジュノン・スーパーボーイ・コンテストにも応募しています。

すがちゃん最高no.1
引用:Instagram

こちらは高校時代ではなく、雑誌『JUNON』2022年5月号に登場した時の写真です。

勉強はというと

「さすがに一人で住んでたら、しなかった」

とのことなので、成績はそんなに良くなかったようです。

高校がヤンチャな学校だったため、2年生になる頃にはヤンチャが過ぎる生徒はほとんど退学になっており、逆に快適な高校生活だったといいます。

すがちゃんさんも「モテる・楽しい・快適」な高校生活には満足していたようです。

ですが高校3年生の進路を決める時期に、山形の大好きだった山に囲まれた景色が、自分を囲っているように見えてきたと言います。

その時、無性に

田舎で終わりたくない
東京で勝負したい

という感情が芽生えたそうです。

そこから専門学校に通い、ADとして就職。

その後専門学校時代の友人の石原涼丞とお笑いコンビ「パーティーズ」を結成しデビュー。

パーティーズ
引用:Instagram

コンビ解散後、すがちゃん最高no.1となり、その後『ぱーてぃーちゃん』を結成。

おもしろ荘で大ブレイクし、現在に至るという感じです。

まとめ

今回の記事では

  • すがちゃん最高no.1の家族とは?
  • すがちゃん最高no.1壮絶な生い立ちでも青春を謳歌?
  • すがちゃん最高no.1山形の高校時代が一番モテた?

ということについて書いてみました。

結論、すがちゃん最高no.1さんは

  • 変わった家族に囲まれていたが、それをプラスに捉え力に変えた
  • 壮絶な生い立ちでも青春時代を謳歌していた
  • 高校時代が人生で一番のモテ期だった

ということがわかりました。

多くの人にとって、すがちゃんさんの家庭環境は決して恵まれたものではないと思います。

それをプラスに捉えるすがちゃんさんからは、学べることがたくさんあるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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